キルラキルはレイプカルチャーなのか?

何気無くツイッターしていると、キルラキルはレイプを肯定した作品であるという、ツイートにであった。元の記事は英語になっており、以下のサイトである。

http://shiracirca.tumblr.com/post/64355489499/rape-culture-in-kill-la-kill-part-2

とりあえず訳してみると、

あなたが見たアニメの中にも、ある種の冷やかしのレイプジョークにわれわれが親しんでいることをあなたも知っているだろう。好色なやつが魅力のある女性に触れようとしたり、襲いかかろうとするが、彼が得るものは顔面へのパンチであり、睾丸への蹴りである。かれが成功する前、あるいはした後でも。われわれはキルラキルにおいてもたくさん目にするのだ
! そしてわれわれはこのシーンを目にする。
(写真1無抵抗なリョーコを学生が目にしているシーン)

そうだ、これに続くのはお決まりとはほど遠い。たしかにリューコを待っているものは、日常に戻り、彼らを徹底的に殴りつけるのだ。ただあることが起きなかったことを除いては。いいや、実際、われわれが見ているシーンは暗転し、次に続くのはこのシーンになる。
(写真2、リョーコに馬乗りになっている医者)

そして、彼女はすぐにこの男を殴りつけるが、しかしわれわれはどのように彼女がここに連れて来られ、そしてこの間に何が起きたのかが説明されていないのだ。こんなとんでもないことが真面目にほのめかしているのは、この明らかなハレンチ野郎が彼女を見つける前に、あの青年たちが彼女で楽しんだということではないのか?そして、このことが本当で無いとしても、なんてことだ、彼女が意識のない間に、このハレンチ野郎が頂上まで行き着いたということではないのか。

彼女がこの男を殴った後で、われわれはこの男がマコの父親であり、そしてマコですら彼はリューコの傷を手当てをした闇医者であるといって彼を擁護するのだ。馬乗りになっても、何でもないということ、なぜならわれわれはあとで彼がわざと彼女の着替え中を覗くのであるが、そこでは本当にこのことをジョークだと示している。だがこのハレンチな中年が意識のないリューコで頂上に登りつめてたとしても、ドライな性交を始めていたとしても、そこで「彼は医者であって、ハレンチ野郎じゃないよ」「ああ、このケースでは、彼は高校生の少女の着替えを覗こうとしたんだね」「ああ、あなたが我々を捕まえても、彼は結局はハレンチ野郎だ」と語られるのだ。なんて痛快なんだろうね。なんて面白いんだろう。


いまいち正確に訳せているかどうかわからないけど、大意はわかると思う。

こういう手法はわりとよく見るシーンであり、なるほどキルラキルはレイプカルチャー作品かもしれない。馬乗りになっているのに、なにもなかった、というのは現実的にあまり起こり得ないだろうし、不良たちが意識を失った女子高生になにかしないという保証はない。あくまで常識で考えればという話だが。

マンガというものは基本的にキャラクターの身体で表現する媒体である。だからエロも扱うし、むしろ身体のあらわな描写を扱わない方が考えられないことだ。日常生活とかけ離れているからこそのマンガであると思うし、それはアニメも変わらない。

キャラクターたちの服は破れ血も出るかもしれないが、それは単純にマンガの演出でしかなく、犯罪を助長しているわけではないし、実際の犯罪行為と分けるべきだと思う。ただし、マンガやアニメにおける性的あるいは暴力についての考え方が現実に及ぼしている影響は決してゼロではないこともまた考えないといけないと思う。決して手放しでどちらが正しい、という話ではないのだ。

とまたありきたりの話になってしまった。。

ご拝読ありがとうございました。