キルラキルについてちょっと考えた。

なぜかサイゾーキルラキルの記事があったので勝手に考察してみる。
http://jp.news.gree.net/news/entry/1242401?from_ggpnews=top_category_news_6


あまり事情はわからないのだけど、キルラキルガイナックスから独立した人たち(TRIGGERという会社)が作ったらしい。ガイナックスは言わずと知れた、エヴァンゲリオンを製作したところだけど、のちに監督の庵野秀明さんは別会社を作って、そっちでエヴァンゲリオンの新劇場版を制作している。

この一見なんでもないようなことが、難しいのがアニメ業界なのであって、そもそもエヴァンゲリオンは制作した側が著作権を持つという珍しい形式で製作されたため、作り手サイドが潤った先行例であるだろう。このエヴァに続けとばかりにオリジナル製作をするところがあり、少なからずパチスロやパチンコとのタイアップも盛んである。ロボットアニメのゼーガペインや、STARDRIVERがパチスロになる予定もしくはなっている。

この柔軟な著作権の使用こそがオリジナル版権で物語を作ることのメリットなのであって、エヴァンゲリオンも最近目にしたところでは、髭剃り用カミソリメーカーとコラボしていた。こういうキャラクター使用権などのB to B部門の方が本業をしのぐ利益をもたらしている。当たればとても旨味があると言えるだろう。

さて、問題のキルラキルである。

まだ今のところ4話目なのでまだ内容的にはよくわからないが、すでに黒幕の生徒会長と主人公は戦っているので、あまり先は長くないだろうと思っていたけど、あと2クール、つまり20話くらいある。これは更なる黒幕がいるのかな、と思わず視聴者に想像させるような筋書きである。

サイゾーの記事を見てみると、画風やネタの受容に年代差があるということだった。ガイナックスの先行作である、グレンラガンにしてもPanty&Stocking (以下パンスト)にしても作画が特徴的である。独特の丸っこいキャラクターデザインとも言うべきもので、基本的に最近のリアル志向のアニメと比べると珍しいくらいデフォルメが基調の作品になっている。

エヴァンゲリオン監督の庵野秀明にしてからが萌え絵については否定的な意見の持ち主ということも知られているが、ガイナックス自体が大きな反萌え勢力の牙城だったのかもしれない。萌えについてはいまだきちんと語られていない分野であり、またその境界もかなり主観的であるが、問題なのは、萌えというよりもギャグを志向するガイナックスあるいはTRIGGER作品であるだろう。

パンストはグレンラガンのような男の熱血がギャグとしてあるいはオマージュとして展開されているアニメに比べてもかなりギャグに偏ったアニメだと思われる。主人公は女の子不良2人組という設定であり、既存の秩序に挑戦的だ。グレンラガンほど男っぽくない。グレンラガンは抑圧されて生きていた男の子が外の世界へ羽ばたくような筋書きの話である。

この2作品を合わせたのが、どうもキルラキルっぽい、というのは強引かもしれない。主人公は女の子だが、かなり熱血系の話であり、かつギャグも多い。パンストのような不良の話でもある。かつギャグと熱血の融合の話なので、どうも過去にあった島本和彦作品を想起せずにはいられない。

熱血かつギャグというのはどう見ても現実に対する逃避あるいは、距離を保ちたいという心理が働いている。だが、こうした心理はたしかに20代のオタクには共有されていないのかもしれない。

20代のオタクはかなり真面目であり、右翼的な秩序志向もあるが、同時に仲間意識を共有する人間と連れ立っているようなイメージが強い。無防備な語らいはどうしても仲間うちとだけになってしまい、ギャグテイスト作品にたいして距離をもってしまう、というのはわからないでもない。この違いは、マンガやアニメがより本流的な現象になったのと無縁ではないようだ。過去、マンガやアニメは限られた趣味だったが、いまは交流的な知識やツールとなっているようでもある。より一般的になったからこそ、過去の作風に見える、熱血とギャグが共存している環境に面食らうのである。昔のオタクほど今の若いオタクは逃避的ではないのだ。

さて、それではかつてオタクと言われるような層の人間はどこへいったのだろう、という気がしないでもないが、この辺で筆をおいてみたい。

ご拝読ありがとうございました。