多くの日本人が知らない100の事柄 お試し版


知らない事は、恥ずかしい事じゃない。
知らない状態が長く続くのが恥ずかしい事です。

少しでも知らないものを減らして、新しい一生を手に入れてみましょう。

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国体より危ない国家という概念。

国家という言葉を皆さんはどの様に感じていますか?
この日本語は相当食わせものです。
どうして国と家が結びつくのか、皆さんはわかりますでしょうか。

それは国と国家を区別するためです。
昔の事ですが、日本の国は多くの国に別れていました。
その国は藩と呼ばれてました。その藩の数は250以上あったと言われていますが、確かな数はその時々によって変わります。(何かあると江戸幕府に潰されたためです)

国は別名、邦とも書かれ、邦人という言葉にもなっています。
この邦人という意味は日本人という意味ですよね。

日本にはこうしたいくつもの林立する国がありました。

藩は江戸幕府の制度でしたが、もともと平安時代から国の概念はあり、国守という形で、中央から役人が派遣されていました。それは全国で、68と言われています。

その昔、応仁の乱を起こした片一方の総大将、山名宗全は、一族で11の国を領有したと言われています。そのせいで六分の一どの、と呼ばれたりもしました。

このように日本には、昔からたくさんの国で別れていたのです。
この事がわたしたちの精神面に与えた影響はまだ大きいと思います。

さて、そうした多数の国において、国家というのは一つの観念だと思われています。
つまり、国の家、というよくわからない言葉になってしまっているのは、この国家というものが多数ではなくて、一つである事を証明するようなものです。

どうして国の家なのでしょうか。それは当然の様に天皇制と関係があります。
天皇制といっても最初は天皇が大きい権力を持っていたわけではなく、元老によって、制限されていました。天皇はいわば利用されていましたが、それが国家という言葉にも現れています。

というのも、国家という漢字は国の家、という読み下しですが、当時は天皇を中心に一つの家になろうと考えていたわけです。国家という言葉が好きな人は中央集権的な国のあり方が好きということです。中央集権ということでは、この国では天皇中心という意味です。

もう一つ国家と並んで不気味な言葉が有ります。それは国体です。これは天皇中心の国の仕組みを構築するという言葉なので、いまでは使われていません。僕はこの言葉はそこまでおかしいとは思いません。国の家よりも、国の体、の方が表現として自然な気はしませんか。(英語ではpolitical body という言葉が有ります)

ただ問題は、いまでもファナティックに国体を国家のより強い意味で言ってしまう人がいるので、この言葉は使われません。いつか天皇制がなくなって、時間が経てば国体の方が自然だということに多くの人は気がつかれるでしょう。