カナダで共産主義の犠牲者の記念碑がたてられるそうだ。
カナダが今度、共産主義の犠牲者の記念碑を建てるようだ。
コンペで残った六人の中から、最終的なデザインを決めたそうだ。
建築費は5億円。
漠然としすぎているのが、共産主義の犠牲者を誰が指すのかがわからない、という問題である。
犠牲者とはなにをもって犠牲者というのか。
共産主義が直接手を下した犠牲者というものがいるのか。
たとえば文革下の毛沢東政権がたくさんの餓死者を出した出来事がよく引き合いに出されている。
でもそれは毛沢東の責任は問うことができても、共産主義というイデアの責任を問うことはできない。
イデアは人を殺さない。人を殺すものはもっと現実的で直接的ななにかだ。
その直接的ななにかの存在を隠蔽してしまう意味で、このモニュメントは害こそあって利益がないと言える。
せめて資本主義の勝利の記念碑にすればよかったのになあ、と思わなくもない。