ロリコンマンガを見てみて。わかばっちさん騒動を機に。

最近、Twitterを賑わしている問題として、規制賛成派のわかばっちさんがAmazonへのロリコンマンガ販売の苦情と中止を求めて、Amazonの日本法人の社長に対して、一通のメールを出した事から問題は発生する。これを受けてAmazonロリコンマンガ雑誌の、茜新社出版の「コミックLO」を新規販売中止にした事から、Twitterの規制反対派の規制批判運動に火がついた格好になった。(古本は相変わらず購入できる)

僕はちょっと前から規制派の運動は、国の警察化を進ませるものだと思われたので、反対しているし、表現の自由の観点からも守られるべきと思っている。ただ、あまりロリコンマンガそのものに詳しい訳ではないので、この際、もっとよく見てみる事にした。

コミックLOの四月号を見てみようと思ったけれど、もはや店頭はコミックLO五月号だった。つくづく時間は移り変わるのが早い。とりあえずさっと見た限りでは、Amazonに対しての苦情や主張の類は見られなかった。茜新社のコミックはインターネットの直販も利用できるみたいだし、一年間の購読を別会社に委託しているようである。だからあまりこの騒動から、失うものはないのかもしれない。

肝心の内容を見てみると、確かに少女たちとの性交が描かれている。面白い事に、エロマンガによくあるような、女性器を広げてみたりなどと言った行為は消えて、男性器とつながっている状態が多く描かれていたが、これもこれで何かの表現規制への対応なのだろうか。絵柄は少女マンガや萌えの絵が多くなって、清潔感のある少女が好まれるようだ。本当に電撃文庫の表紙などから発した、萌えイラストの影響がマンガに出て来たのは、この五年ほどくらいで、それがこの三年ほどで性的に消費されるようになったのかもしれない。あくまで僕の憶測だけど。。

2004年に出ていた、完顔阿骨打さんの「ランドセル」とロリコンマンガ界では有名な、町田ひらくさんの新作も一緒に買ってみた。どちらも萌えにはあまり関係はない。町田さんは劇画のようなタッチ、完顔さんもちょっと前にパソコンで流行ったような、美少女ゲーム調の作風である。この2人も萌え風のロリコンマンガに劣らずにまだ売れているという事実は興味深いものがある。(完顔さんの作品はこのご時世にもかかわらず10刷になっていた。これは最近の低迷が囁かれる中では大ヒットと言っても良いのではないだろうか)

この作品の内容を見てみると、完顔さんの楽天的なマンガに比べ、町田さんのマンガは暗い表情の女の子がメインに描かれている。これは多分、タッチにもよるのだろうか。完顔さんはデフォルメが基調であり、女の子といっても、女の子であるという事が記号的に分かるというだけであって、実際の女の子には似ていない。それに比べると、町田さんはあくまでも本物の女の子に似せるような努力をしている。だから、前者はファンタジーであるのに比べて、後者は実際の街を舞台にしていたり、気が滅入るほどの凄惨な状況に女の子が置かれる事になる。

それがいわば町田作品の特徴でもあれば、魅力なのであり、多くのファンを獲得したのだろう。これはかなり逆説的な事でもあるが、暗い救いのない世界観を持つディストピアのような世界、もまたSFなどで要求されているタイプのものではないだろうか。最近でも、「タイム」というSF映画があったが、これも、ディストピア調の世界であるだろう。もっとも、「タイム」はハッピーエンドだが、町田作品はそうではない。そもそも人生ならばハッピーエンドである事は必要だが、創作物にまでハッピーエンドを押し付けられるとする理由はない。

過激なロリコンマンガ満載の、町田作品は同時に倫理的な作品である。なぜかというと、彼は年端のいかない少女とのセックスが正しい事である、とは描かないからだ。少女がセックスをするのはそこが劣化した日常世界だからであり、異常な世界だからだ。子どもと同じように大人たちも追い詰められている事を可能な限り描こうとしているのがわかる。これは刑事に捕まったレイプ魔の告白シーンから始まるマンガもある事からわかるだろう。

往々にして問題のある描写とは、犯人が捕まらなかったり、少女たちが快楽に目覚めるタイプのものだという事が言われているが、こういうものとは違うだろう。町田作品は陰湿な世界観とセットのマンガであり、少女とセックスをしているという行為だけを取り出して、この作品を知ったことにはならないと思う。

Amazonが間違えたとすると、それはアメリカ的な倫理のみが正しいというような、自文化中心主義こそが問題だと思われる。アメリカもまた近年まで子どもに対して死刑を課してきた一面のある国家なのであって、日本を批判できるのだろうか。文化の違いこそが日本で商売をするうえで必要だとはよく言われるが、今回の事からAmazonがそうした配慮ができないという事が露呈したとしたら、大変である。ユーザーの1人としても、心配せざるを得ないのである。