僕はどうして天皇主義には反対なのか。

天皇主義とは古い思想だと僕は思っていたけれど、最近見直されているらしい。
(というほどでもないと思うけれど)

僕がわからないのは天皇主義がどの様なものとして、戦後世代に根付いたのか、という事である。戦前、戦中は天皇主義は体制だったので、田舎のお爺さんやお婆さんがまだ抜けきれないのも仕方ない事だ。しかし戦後の世代の人間は、自ら天皇主義を選び取ったと思われるが、「天皇ってサイコーだよね」と思ったところで、それは単に、その人の好悪を表現しただけであり、思想として結実したわけでもないし、天皇主義という事でもないと思う。

一応戦前だって、盲目的に天皇を崇拝していたわけではない。第一そんな事をしたら、生活ができなくなる。せいぜい、決められた時間に皇居遥拝したくらいなのではないか。一応、国の柱に天皇を据えようとした試みは国体学に結集されるらしいし、大学に対しては、国体学の講座を設置する事が強制的に決まってしまった。今の憲法に「学問の自由」が入っているのは、そうした事に対する反省でもある。

国体学については、文部省の「国体の本義」をみれば良い事になっているが、この文部省が戦前・戦中に発行したパンフレットであるが、これの内容はかなりおかしい事になっている。僕はインターネットに上がっているものを見たけれど、個人主義の否定、日本人は自然に天皇の権力に服しているんだ、とか、日本は一大家族国家(そもそも国家は国の家という意味だという屁理屈)であるというのは、ちょっと今でも通じるとは思えない。そもそもそれがどうして可能なのか、という事を客観的に捉えられないといけないのに、主観的な押し付けに終始してしまっている。


崇神天皇の御代に四道将軍を発遣せられた際にも、この御精神は明らかに拝せられる。即ちその詔には、
  
民を導くの本は、教化くるに在り。今既に神祇を礼ひて、災害皆耗きぬ 然れども遠荒の人等、猶正朔を受けず、是れ未だ王化に習はざればか。其れ群卿を選びて、四方に遣して、朕が憲を知らしめよ。と仰せられてある。
 
景行天皇の御代に、日本武ノ尊をして熊襲蝦夷を平定せしめられた場合も亦全く同様である。更に神功皇后新羅に出兵し給ひ、桓武天皇坂上ノ田村麻呂をして奥羽の地を鎮めさせ給うたのも、近くは日清・日露の戦役も、韓国の併合も、又満州国の建国に力を尽くさせられたのも、皆これ、上は乾霊授国の御徳に応へ、下は国土の安寧と愛民の大業をすゝめ、四海に御稜威を輝かし給はんとの大御心の現れに外ならぬ。

また、素朴なテキストなだけに、素朴に侵略的行為を基礎づけているのはなかなか怖い事である。これはそもそも日本の戦中の侵略行為は天皇の定義からして明らかな事になるのではないか。つまり、天皇こそが侵略行為の元凶、その大義名分を与えてしまっている事を暴露している。今ある天皇制とてその例外ではないのである。天皇すなわち、侵略するものであるのだから。これは怖い事ではないだろうか。

さて、そもそも「国体の本義」は天皇機関説を痛烈に批判している事からも、注目すべき天皇独裁の様子をとどめている貴重なテクストと言えるかもしれない。やはり天皇家こそが侵略の象徴であり、落日の象徴なのではないか、1人の日本人として看過する事はできないと思う。