雑誌☆ロリポップ!

ロリポップと検索して、何が出てくるだろうか。あるものはネット業者だったり、DVD、マンガにもそんなたぐいものがあった。「まもって!ロリポップ」、「微糖ロリポップ」などなど。そうしたものの一つか、またはそのイマージュの大元に「ロリポップ」誌があった。成人マンガのようでもあるが、それだけでなくギャグマンガ夜想を彷彿とするような、芸術性のある作品がかつて掲載されていた。それについてのイベントが2月20日、またまた主催が浦嶋嶺至氏で、新宿百人町の入り口にある、ネイキッドロフトで行われた。

http://blog.livedoor.jp/urashima_area41/archives/52641279.html
(浦嶋嶺至さんのブログ)

僕は写真は使わない方向なので、撮らないし、掲載しないが、(この方針は反省した方が良いかもだが)研究者として有名な永山薫氏がバシバシ撮っていたので、マンガ論争の続刊でその写真が見れるだろう。なんの変哲もない場末の居酒屋だが、文化の発信スペースとして活用されるのである。昨日も多くの人でごったがえしていた。もう休刊して20年は経ってしまった、雑誌の編集長とスター作家たちに会うためにである。

最初は編集長だった、川瀬久樹氏の身の上話から始まり、(というのは半ば嘘だが)ロリポップの前身の「マルガリータ」誌から語っていた。詳しい話はよく分からないが、雑誌を作るために上京し、競馬新聞のアルバイトなどで修行したあとに「マルガリータ」を立ち上げる。大学四年の時期にはすでに地元の名古屋の同人マンガ作家たちと連絡を取っていたらしい。すごい。そして当時、「ロリポップ」には大塚英志氏が編集長だったことで有名な「ブリッコ」の「編集長自らが前に出る」という姿勢にも影響を受けていたみたいだった。

そしてその編集長の一番の工夫は、読者との交流などにあったらしい。すでに雑誌と読者の交流は手塚治虫が作った「COM」の投稿コーナーの「ぐらこん」にその原型があったと思うが、川瀬編集長はそれにSF研究会的なノリを加えたようで、読者たちとの交流のためにわざわざロリポップ大会を企画した。写真をみたけど、どういうものかはいまいち掴めなかったが、旅館などを借りて行われたのだろうか。名古屋は土地柄、SF大会が盛んだったようで、作家の森博嗣などが携わっていたのはおそらく有名だろう。主催の浦嶋嶺至氏、後藤寿庵氏は某都内の私立大学のSF研究会出身らしく、改めてSF研究会からマンガ家からの流れは強いと思った。そういえば、シベールの吾妻ひでお氏、沖由佳雄氏などもSF色強い作品を作っていたようなので、そういう時代だったのだろうか。

そして、スター作家の千之ナイフ氏、伊藤まさや氏、後藤寿庵氏などに話は移り、その当時の状況などを懐かしく話されていた。特に伊藤氏の代表作「美しい人間」がプロジェクターに投影されると、会場から感嘆の声が上がった。細かく描かれた背景と人物、そしてそこから引き出されてくる世界観が一同の声を失わさせたと思われる。またグロテスクながら作家のやむに止まれない個性を感じる作品であり、忘れられた名作の声が高いようだ。飛鳥新社から単行本が予定されているというが、伊藤氏自身は「加筆した」と発言され、「えっ、どんな風に?」(一同)、「(原稿の)上から白で」とおっしゃったので、壇上の人達すらも唖然とした表情が隠せなかったが、その後に見せた新作の原稿のコピーが遜色がないばかりか、一段と良く、円熟味を見せる作品だった。つまりパネェ(半端ない)のである。

なお、伊藤氏にはなおもファンページが存在するようである。
http://www.geocities.jp/san_makura/ito_top.htm

後藤寿庵氏についても「今でも笑える」という、その生来のギャグマンガセンスを惜しむ声が聞こえ、川瀬編集長は「後藤先生に好き勝手描かせたのはうち(ロリポップ)だけ」ということを自慢にされていたようだ。なぜかは分からないのだが、後藤寿庵氏は絵を描くのが上手く、いわゆるマンガ絵だけではなく、一枚絵としても存在感があった。現在では成人向けマンガに健筆をふるっているようだが、もう少しロリポップが続いていたらと思うと、残念でならない。(ちなみに僕はジャンケン大会で後藤先生のマンガが当たり、図々しくもサインをお願いしてしまった(^^))

僕自身もまだ調べが足りていないのだが、90年代にはコミック規制があり、どうやらその煽りを食らって多くのマンガ家たちが廃業の憂き目を見たようである。伊藤まさや、後藤寿庵という「ロリポップ」のツートップのマンガ家にしても、現在ではマイナーな存在に貶められていることは問題ではないだろうか。(ちなみに伊藤氏は現在ではどこにも連載されていないし、単行本も「美しい人間」の予定しかないそうである)そのことはこの行き過ぎた規制について考えない訳にはいかない。少なくとも「ロリポップ」にとっては雑誌の根絶を意味していたのではないだろうか。また同時に雑誌の根絶はその読者の根絶でもある。

記憶というのは実は年表のような歴史的記述だけではない、ということはピエール・ノラが「記憶の場」において主張した事ではなかったか。残念なことにこの記憶は未だ復元される途上にあるようだ。記憶とはどのようなものであり、それを如何に保存するかを関係者の方々は考えないといけないだろう。ズブの素人である僕が言うのも差し出がましいのだが・・・(^_^;)。その作業なしにはまた規制によって表現物が根絶されはしないだろうか。確かにロリコンマンガは一部にエロ表現を含み、それが良識者を自称する人達にとって問題なのであるらしいけれど、それがただ単に、権力者による道徳観、社会観の押し付けであるのは明らかに問題ではないだろうか。

文責・ハンギ @hangium