この一ヶ月間を振り返って

東京都青少年健全育成条例が改正されて、二ヶ月を越える。この間、注目すべきニコ生の放送などもあったみたいだが、とりあえずこの一ヶ月間の僕のこの問題への取り組みがどのようなものか、改めて振り返ってみようと思う。したがってあくまで私家版だ。

といっても大した寄与があった訳ではなくて、自分なりにこの問題を追ってきたのでまとめてみようと思っただけである。僕がこの問題を知ったのが、去年の8月あたりだと思う。それまであまり問題だとは気がつかなかった。僕は二年間、大学のマンガのゼミにやや強引に居座っていたが、そのことで手塚治虫の初期のマンガ、特に三部作として有名な、「ロストワールド」、「メトロポリス」、「来るべき世界」がセクシャルなマンガであることも知ることができた。特に「ロストワールド」には植物から出来上がった人造人間である少女が、定番キャラのアセチレン・ランプに食べられてしまうシーンがあり、大塚英志はかつてこの手塚の残酷さに注目し、戦時下という流行語を作り上げたことは有名だろう。ただ、この傾向は主に永井豪などの手塚治虫以後のマンガ家に引き継がれた傾向であり、田河水泡倉金章介松本かつぢには無縁ではないだろうか。(田河水泡の「のらくろ」はグレーかもしれないが)

だからマンガといってもすべからく残酷なものではないが、戦後のマンガに関してはこの傾向は拡大し、描写の仕方がより多様化し、工夫されてきたことは明らかだろう。率直にいってしまえば、エログロ表現はより多くの人達の目に触れるようになった。このことは問題かもしれないが、だからといってエログロ表現はあっさり否定できるものでもない。

僕は都条例などの風紀を引き締める動きに、最初のうちはそこまで否定的ではなかった。何より僕自身がエロマンガであったり、エッチな青年誌、少女マンガの存在をよく知りもしなかったからかもしれない。そしてやっと何冊かを目にし、またその代わりにいくつか研究書などの論文などもみてみたりした。そこでわかったことは、マンガのエッチな表現であったり、成人マンガというものは、性的なマイノリティのための表現ではないだろうか、ということである。日本でも沖縄、北海道、広島・長崎の原爆体験者にマイノリティがあり得たことは広く認知されている。その問題と全く同じ、という訳では僕もないと思うが、そうした問題と関係しているようにも思われる。というのも、近年の日本は同調圧力がこれまでにもなく高まっており、マイノリティの置かれる状況は年々厳しくはなってはいないか。テキストや論文などのレベルでは、マイノリティ論は発達しつつあるものの、まだまだ一般的な合意を得ていないように思える。また、最近ではトイレで食事をする若者の存在もクローズアップされている事からもわかるように、人間関係などで亀裂を感じ、自らマイノリティと感じざるを得ない人もいるのではないだろうか。決してマイノリティというアイデンティティは、一部の人達のものではないのではないだろうか。

その延長で言ってしまえば、ロリコンマンガ、美少女マンガもマイノリティの問題だろうし、成人マンガもそうだと思う。最近では性的なマンガの存在がクローズアップされてはいるものの、決して量的には多くない。有名な研究者によると初版も売り切れないような状況であり、かねてからの出版不況も合わせて厳しい状況ではないだろうか。成人マンガは基本的にはどうやら規制によって囲い込まれたような業界であるようで、価格帯も千円であり、売り場も違うなど一般のマンガとは状況を異にする。マンガもワンフロア分を置いてある、某大型書店のコミックコーナーにもわずか二冊しかなかったような有様である。そうした成人マンガの多くはこれまで、マンガ専門書店に置かれてはいるものの、この分野の草分けである高岡書店にしても、売り場はほとんど成人マンガ一色という事ではない。どうみても衰退しつつある、マイノリティの圏域ではないだろうか。

もちろん今回の都条例改正案が目指していたのは、一般コミックの中にある、青少年の性交などの表現であって、成人マンガについてのものではない。しかし不健全図書指定されたものは、原則として成人マンガとして売らなくてはいけない。一般コミックとは版の大きさ、価格帯もちがうのに、どう売ればいいというのだろうか。前述のように、そこまで成人マンガ読者層は厚くない。一般的な読者を想定したのに、一部の読者にしか通用しないものを求められるのである。多くの出版社にとっては賭けのようなものであり、実際、不健全図書指定され、予定していた増刷を刷れなかったという例もあるのだ。はっきりいうが、東京都の都条例はエロマンガ一般にある差別を助長し、経済的にも圧迫するようなものであり、制度自体に欠陥がありそうである。

こうした事を最近知るようになるにつれて、都条例、児童ポルノ法、わいせつ罪、には見直しが必要ではないか、と考えている。だが、これまでの僕の説明では、どうしてエロマンガというものが必要とされているのか、という事まで明らかにしていなかった。これまでアカデミズムは女性学のみであって、男性学的知見からエロマンガについて光を当てたのは少ないのではないのだろうか。僕としては、女性の視点だけではなくて、ぜひとも男性の立場に立って、エロマンガについての判断を下して欲しいと思う。いま、まさにそうした仕事が必要なのに、一つもなさそうなのは一体どういうわけだろうか。