ミリタリーSFの楽しさ。

こんにちわ〜。最近ミリタリーSF読んでます〜。
ミリタリーSFは軍事的な話を何かに置き換えたり、古い科学を新しそうに見せたり(いわゆるスチームパンクもそうかも)、現実の軍隊が宇宙人と戦うような物としましょう。

このジャンルはアメリカとかがすごいです。作家さんも軍隊経験があったりするので、少なくとも現実の軍隊を対象とする限り、間違えた事は書いてないのでしょう。

たとえば「火星のプリンセス」がそうです。
これは1917年に執筆されたSFですが、主人公は南北戦争で敗北した、アメリカ南軍の大尉という設定で、彼が火星へとたどり着き、そこで英雄になる、という話です。歴史改変ものであり、また多少は軍事的な色彩もあります。

著者のエドガー・ライス・バローズは軍隊経験があり、父親が南軍の少佐だったそうです。親の無念を思い出して書いたのでしょうか。

最近は「ポズリーン・ウォー」シリーズがあります。邦訳されたのは、二作品のみ、全部で六巻です。意外と多いのですが、現在では主人公の娘が大きくなって宇宙人と戦っている小説も出ているそうで、海の向こうのアメリカでは息の長いシリーズみたいです。

スペースオペラには艦隊戦などが不可欠な要素とはいえ、だんだん軍事的なSFが多くなっていると言うか、SFにはこういう側面がある事は否定できないと思います。日本でも押井守が「ケルベロス 鋼鉄の猟犬」がありました。この本では、ヒトラーが暗殺され、まとも?になったドイツ軍に最後まで奮戦する呪われた部隊である、装甲猟兵という押井守氏独自の設定に基づく部隊を、登場させてきています。映画「人狼」でおなじみのあれを想像すれば良いと思います。藤原カムイもマンガ化に参加していますので、意外とビジュアルとしては固定していると思います。(映画もマンガも左翼運動が華やかな時を舞台にしている、ので舞台設定が異なると思いますが)

さて、私たちはそれで何を想像すればいいのか、という問題があります。

なんでミリタリーSFはこんなにも人気なのだろうか。軍隊や武器についての蘊蓄を語るミリタリーSFは大人気というほど広がってはいないですが、地味に人気があります。これはいったいどうして人気があるのでしょうか。しかも日本では銃を保有する事すら出来ないのに。

これは小説のカタログ化現象の1つだと思いますが、なぜか、ミリタリーSFは蘊蓄を傾ける小説という扱いを受ける事になるかもしれないです。「ヨルムンガンド」「虐殺器官」もわりとそうなのですが、想像力を刺激させる描写と言うよりも、事実や固有名詞をそのまま列挙して、話に現実味をもたらす方法がよく利用されている気がします。これはたぶん日本では銃が規制されている事と無関係ではなく、私たちにはかなり銃や軍事的な装備は身近なものではないので、その具体的イメージを喚起するためには、その説明に要する手間がかなり必要になるという事でしょう。情緒的ではなく、より即物的な描写が求められると言っていいかもしれません。

アメリカで生まれた「ポズリーン・ウォー」シリーズもかなり蘊蓄的なのですが、それはこれまで見た事のない(四つ足の)宇宙人が侵略してくるという主題なので、地球人の軍隊が取る戦略を一から説明しないといけない、という事情によるのではないでしょうか。(「火星のプリンセス」は特にそういう要素はないです)

少なくとも、ミリタリーSFの饒舌さというのは、軍事的な物になじみのない人にも作品を楽しめるようにするための配慮かもしれませんが、時々どちらがメインなのかがわからなくなります。それもミリタリーSFの楽しさかもしれませんが・・。^^;