パチンコっていいですね。

パチンコってどうも、社会的にはあまりいい目で見られていないですね。残念です。
僕は最近やるようになったんですけど、どこが面白いのか適当に書いてみます。^^;

まずパチンコは誰にでも出来る・・。単なる運だけを扱う遊戯です。
複雑なゲーム性がなく、この意味ではあまり個人差が出ないと思われます。
細かい所はあるのかもしれないのですが、僕が思いつくのは保留を作れるようになるくらいでしょうか。特に保留が途中で昇格する「ガンダム」では保留を作った方が、何かといい気がしますが、もしかしたら気休め程度かもしれないですね。

パチンコはマンガアニメのコンテンツがよく使われる。
この点は説明するまでもない事です。「宇宙戦艦ヤマト」、「エヴァンゲリオン」、「エウレカセブン」「ウルトラマンタロウ」、「コンバトラーV」なんてのもあります。特に有名な台詞がカットインで入る事もあるので、こういうコンテンツに詳しくなる事が出来ます。(それがそんなにいいのか?と言われたら困ってしまいますが^^;)

パチンコは遊戯の未来系である
これはどういうことかというと、最近何かと話題になっているグリーなどですが、どうもパチンコ(パチスロ)を元にゲームシステムを作っているのかなあ、と思っているのですが。(あ、僕はグリーのゲームをやった事はないのですが)パチンコは確率を主に扱うゲームです。確率が高ければ誰でも当たりを出す事が出来ますし、対戦相手なんてのもいないのですが、それだけに自分との闘いになりまして、その要素が非常に面白いのです。詳しく説明しましょう。

まずパチンコに当たった事がある事が前提です。過去、大当たりを出した事があって、二万円くらい儲かった事があると、また出るのではないか、という希望が捨てきれないです。それなので、とりあえずまたやりたくなる、もう一度当たってみたいな、という気分が捨てきれなくなるわけです。過去の自分の体験は、自分が体験しているだけに疑いようがありません。他人がパチンコで2万円勝った、という話を聞いても心は動かされないかもしれませんが、自分が体験した経験はそうはいかない。これは皆さんが日々経験する事です。

パチンコでうまくいった事がある、うまく勝ったことがあるのは単純に運がいいからです。それ以外の要素はあまりない。それにもかかわらずまたやってみたくなるのは、前に経験したのと同じくらい、あるいはそれ以上の勝ちを経験できるようになるのではないか?という淡い期待を持つからです。この期待は上限を知らないので、毎日10時〜23時までパチンコ屋に入り浸るかもしれない(笑。こうなったら人間はおしまいでしょうけど、確かにパチンコでは勝てるかもしれない。(もちろん負けるかもしれない)

馬鹿にするかもしれないですが、こういう過去の自分、過去の大当たりした自分との対決が、パチンコでは重要と言いますか、あまり他人との対戦は考えられていません。これが確率を導入しているものの、対戦という要素を取り入れているグリーのドリランドなどとは違う所なのではないでしょうか。つまり、ドリランドは確率というパチンコの要素に加えて、日本のダンジョン攻略ゲームのようなゲーム性をうまく結びつけたゲームを開発したのですね。これが日本のゲームの未来である、と僕は直感します。

確率の要素が入るとゲームがさらに運任せになります、これが面白いと言えば面白いです。ドラクエにも「パルプンテ」という呪文があり(古い!)、そこそこ人気がある呪文だったと思いますが、それは何が起きるか分からないからですね。確率はなぜか胸がわくわくします。日本政府もクールジャパンを売り出すなら、真っ先に売らないといけないのは、コンセプトとしてのパチンコです。パチンコの世界進出こそがいま求められているのではないでしょうか!

余談ですが、僕はパチンコのおかげで「連打」という日本のゲーム文化が生き残れた気がします。ボタンは一回押せば十分、という既成概念を打ち破って、連打、という文化が日本のゲームには存在します。連打とは普通の一回押しとは異なる場面で要求される、習熟度のチェックのようなものです。ゲーム世界のしきたりとも言っていい物です。それによって只のなんて事ないキックが百烈キックになったりするわけです。われわれは簡単に、連打によって日常から非日常へと迷い込む事が出来ます。特にパチンコでは連打成功によって、新しい可能性に満ちた未来が開かれるのですね。同じようなもので「長押し」があります。たぶんこの二つとも日本でできたのではないか、と思いますけども(日本人の情念が連打を作り出したのではないか)。その「連打」を団塊世代のおそらくゲームなどやった事ない人すらも、やっています。これは僕はパチンコのささやかな貢献だと思うわけです。