民族主義についてのあれこれ

今年は辛亥革命から100年ということで、ジャッキー・チェン主演で「1911」という映画がやっていました。まだやっているかわからないのですが、もう見てから一ヶ月、二ヶ月立ったのかもしれません。最初は千葉県に行った帰りに上映していることを知って、その後うちの近くの映画館に見に行きました。千葉県に行ったのは、労働者の国際講演のイベントがあって、アメリカやドイツ、韓国から労働者が集まって国際連帯を説くという感動的なものであったので、おー、革命は近いか?などと思ってしまいました。(笑)

見た印象は良かったです。冒頭に女性が刑死するシーンがあったのですが、「彼女は世界中の子供たちのために死ぬのだ」というナレーションが入って(日本語吹き替えだったので)、自己犠牲精神みたいなものに触れられていました。もう1人、若い男が転向して清王朝のために働かないか、という話を断って死ぬという話になっていたので、革命っていうのはしんどいなーと思いました。あんまり残酷ではないのですが、清の代官の屋敷を襲撃するシーンや会戦シーンはバタバタ人が死んで行きます。どうやら犠牲なくして革命なし、ということを言いたかったようです。ジャッキーは孫文の指揮下にいる戦闘指導者の黄興役ということで出てきており、いわば主役です。孫文役にも人柄のいい俳優が当てられていて、いいなと思いました。ジャッキーのカンフーみたいなシーンはワンシーンしかなかったので、それ目当てではあまり勧められないです。強いていえば、プライベートライアンみたいな映画でした。

さてさて、僕が言いたいのは赤色民族主義は成り立つか?ということです。日本では共産主義社会主義はこれまで民族主義には結びついてこなかったと思います。民族主義というと、鈴木邦男さんのような右の天皇主義みたいな人たちが浮かんで来るようです。しかしこれはもちろん日本だけの現象で、中国やロシアではいまなお共産主義は盛んなようです。というかむしろ、左派と民族主義とが結びついているような印象を受けます。孫文共産主義者ではありませんでしたが、革命家であり、民族主義であった事は面白いです。

別のイベントがこの前ありましたが、今の二十代の大学生活動家には親同士が全共闘だったとか言っていました。またTwitterでも親が労働組合に熱心だったということで左派的な心情を持っている人はいるみたいでした。60年安保では30万人を越えるデモ隊が国会を取り囲んだ事を考えれば、むしろ民意は日本人民共和国に向かっていたとは言えないでしょうか。幸か不幸か、日本においては革命いまだならず、ですが、心情的には民衆や多くの普通の人、生活者にとっては左派的な考えが身近に感じられてもおかしくはありません。平等と平和を求める心情は日本にもそれなりにあると思います。達成された事はありませんが。

ですから、民族主義左派というような人がこれからは出てくるかもしれませんし、一方では右と左が対立せず、例えば拉致問題などで一緒にやっていこうと、蓮池透さんは本で呼びかけた事もあったように、一緒に運動に取り組んだりしていたようです。びっくりですよね。僕からすると左翼原理主義者は嫌われている印象です。彼らは昔の日本軍の失敗ばかりを言っているようですが、もちろん正しい事を言っていると思います。天皇が戦前と戦後の間で統治はしなくなったが、君臨している事は変わりがないと思う。またタカ派石原慎太郎都知事のように、核ミサイルを作ろうと言っている人たちもいます。彼ら、保守、右翼がいる限り、日本の再軍事大国化は否定する事ができない。従ってアジアではシコリが残ったまま、国際関係もギクシャクになってしまいます。これではあと百年経っても、韓国、中国、北朝鮮、日本などは融和できないのではないだろうか。旧宗主国として日本は少なくとも朝鮮半島の戦争には責任を取るべきでしょう。そしてアジア融和の先駆けにならないといけないと思います。それには天皇制廃止が必要に思います。

さて話がズレましたが、民族主義は国際間をつなぐ架け橋ではないでしょうか。民族主義を大事にするという観点から、ウイグルチベット問題に携わっている方もいるように、お互いを尊重する観点は持ちたいです。偏狭な民族主義もある事も事実です。在特会というネオナチのような人間が在日コリアンをいじめています。私はこれには全く賛成出来ませんが、頭で出来上がった民族主義ではなく、肌合いを大事にする民族主義を、と言いたいです。しょせんは日本において民族主義は嘘です。日本民族などという神話は大嘘だと少なくとも知識人の間では言われているようです(例えば騎馬民族説や小熊英二の著作にはそのようです)。しかしそうであるなら、なおのこと私たちは民族主義を絶対視する事なく、緩やかに結びついていたいと思います。日本人の間はもちろん、アジアの人たちとも。


少なくとも、日本の一般人である、僕はそう思いました。