ホームランドのよさ。
更新するまで一年がかかりました。
かかりすぎといっていい笑。
最近アメリカのドラマでホームランドというドラマを見ました。
その話題をしてみたいですね。
まあ、一期だけですが。
主演が、ダミアン ルイスという 日本的な感じというか、ぼんやりしたような表情がいい感じの俳優さんでした。
そのダミアン ルイス演じる、ブロディ軍曹がイラクから救出されたのですが、彼がスパイではないか、という疑惑を持つCIA捜査官のクレア デインズ演じる、キャリーとの愛情のもつれや策略があったりという、なんとも言えない作品でした。キャリーが精神病を患っているという設定がいいですね。
キャリーがなんども自分が狂っていないか、正気かと他の人に聞くのもグッドです。探偵とは正気の人間ではない、というのがミステリの定番ではないでしょうか。
それでブロディは途中でイスラム教に改宗したことがキャリーにばれるのですが、その礼拝の仕方もとても気持ちのこもっている作品で、ただ小道具のクオリティよりも、役者の内部的なクオリティを感じさせる作品でした。
キルラキルはレイプカルチャーなのか?
何気無くツイッターしていると、キルラキルはレイプを肯定した作品であるという、ツイートにであった。元の記事は英語になっており、以下のサイトである。
http://shiracirca.tumblr.com/post/64355489499/rape-culture-in-kill-la-kill-part-2
とりあえず訳してみると、
あなたが見たアニメの中にも、ある種の冷やかしのレイプジョークにわれわれが親しんでいることをあなたも知っているだろう。好色なやつが魅力のある女性に触れようとしたり、襲いかかろうとするが、彼が得るものは顔面へのパンチであり、睾丸への蹴りである。かれが成功する前、あるいはした後でも。われわれはキルラキルにおいてもたくさん目にするのだ
! そしてわれわれはこのシーンを目にする。
(写真1無抵抗なリョーコを学生が目にしているシーン)そうだ、これに続くのはお決まりとはほど遠い。たしかにリューコを待っているものは、日常に戻り、彼らを徹底的に殴りつけるのだ。ただあることが起きなかったことを除いては。いいや、実際、われわれが見ているシーンは暗転し、次に続くのはこのシーンになる。
(写真2、リョーコに馬乗りになっている医者)そして、彼女はすぐにこの男を殴りつけるが、しかしわれわれはどのように彼女がここに連れて来られ、そしてこの間に何が起きたのかが説明されていないのだ。こんなとんでもないことが真面目にほのめかしているのは、この明らかなハレンチ野郎が彼女を見つける前に、あの青年たちが彼女で楽しんだということではないのか?そして、このことが本当で無いとしても、なんてことだ、彼女が意識のない間に、このハレンチ野郎が頂上まで行き着いたということではないのか。
彼女がこの男を殴った後で、われわれはこの男がマコの父親であり、そしてマコですら彼はリューコの傷を手当てをした闇医者であるといって彼を擁護するのだ。馬乗りになっても、何でもないということ、なぜならわれわれはあとで彼がわざと彼女の着替え中を覗くのであるが、そこでは本当にこのことをジョークだと示している。だがこのハレンチな中年が意識のないリューコで頂上に登りつめてたとしても、ドライな性交を始めていたとしても、そこで「彼は医者であって、ハレンチ野郎じゃないよ」「ああ、このケースでは、彼は高校生の少女の着替えを覗こうとしたんだね」「ああ、あなたが我々を捕まえても、彼は結局はハレンチ野郎だ」と語られるのだ。なんて痛快なんだろうね。なんて面白いんだろう。
いまいち正確に訳せているかどうかわからないけど、大意はわかると思う。
こういう手法はわりとよく見るシーンであり、なるほどキルラキルはレイプカルチャー作品かもしれない。馬乗りになっているのに、なにもなかった、というのは現実的にあまり起こり得ないだろうし、不良たちが意識を失った女子高生になにかしないという保証はない。あくまで常識で考えればという話だが。
マンガというものは基本的にキャラクターの身体で表現する媒体である。だからエロも扱うし、むしろ身体のあらわな描写を扱わない方が考えられないことだ。日常生活とかけ離れているからこそのマンガであると思うし、それはアニメも変わらない。
キャラクターたちの服は破れ血も出るかもしれないが、それは単純にマンガの演出でしかなく、犯罪を助長しているわけではないし、実際の犯罪行為と分けるべきだと思う。ただし、マンガやアニメにおける性的あるいは暴力についての考え方が現実に及ぼしている影響は決してゼロではないこともまた考えないといけないと思う。決して手放しでどちらが正しい、という話ではないのだ。
とまたありきたりの話になってしまった。。
ご拝読ありがとうございました。
誰にもわかるコマの割り方
こんにちわ。いろいろ同時並行のハンギです。
さて今日は、マンガのコマの割り方をいろいろ考えたいと思います。
コマとは何か、誰でも簡単にわかるコマの割り方を考えてみました。
まずこの写真をみてもらいますと、マンガの流れは起承転結の流れになっていると思います。えー、まあこの写真だと何がそうなっているかわかりづらいのかもしれないのですが、この一連の流れによって主人公の立ち位置がわかると思います。
主人公の現状への不満、また結婚しないの?といわれているように実家住まいの家事手伝いかな、と思うわけです。そこが1セットになって、表現されています。
次にこの写真です。
これは右左のコマの配置についての説明です。前の写真は上下の流れでコマの関係をみましたが、今度は左右のコマを比較しましょう。
このコマでは、主人公の女性が店に帰ってきたところに噂話をしている女性とふと遭遇するという場面です。入るやいなや困惑顔をしている同僚の人の顔を見ることになってしまい、主人公の顔もうまく対応できていません。この場合、建物の中に入ってきたという動作と同僚と出会ったことは同時的な出来事、として見る必要があります。そうでないと、不意をくらった主人公の心情は理解できません。
左右のコマは、時間の経過がかなり同時的です。少なくとも同時的な時間の流れを表現しています。僕もなぜかはわからないのですが、左右のコマよりも上下のコマの方が時間の経過が長く感じます。
そういう所を利用して、コマを割って見る必要があります。
⚫︎まとめ
コマは起承転結、もしくはその組み合わせで割る。
その時はページをまたいでも構わない。
比較したいシチュエーションの場合は左右でコマを割る。
時間経過を表現したい場合は上下のコマで表現する。
⚫︎応用
動きを表現したい場合は、左右のコマで視点の変化を描く。
上下のコマで動作それ自体の動きの変化を描く。
(ただし一つのコマで描ける動作は1つだけ)
とまあこんなところでしょうか。
かなり基礎的なことだと思いますが。。
パチスロの勝ち方を考察してみた。
こんにちわ。
今日はパチスロについて長々とTwitterに書いてしまったので、まとめて見たいと思います。
まずパチスロで勝つにはどうしたらいいかですが、これは新装開店とかイベント日など特別な日にちを狙って、パチスロをやるか、それとも普段毎日行くところ、マイホを作って、毎日行くことでそこのスロット屋さんの癖を見るのがいいです。ただ本当に毎日行くと警戒されそうなので、3日に1度くらいでいいかもしれません。
海外のカジノはプロだとわかったらカジノから追い出してもいい、という決まりがあるところもあるそうですが、あんまり日本のパチスロはそういうところはないとは思うのですが。
まあそれ以外はプロやライターの人の番組などを参考にしましょう。
僕も初心者なので。笑。
さて、それでは考えてみたいのですが、最近高稼働するスロット台は版権的に有名な台か、過去成功した台の後継機がある場合があります。北斗の拳やエヴァなどはそうですが、エヴァの最新台のエヴァARTはポシャってしまったことが有名です。
高稼働だとスロット屋さんも1日1台あたり5000円粗利益を得られるそうですが、打ち手も設定が高い台に座れる可能性が高くなります。Win&Winなのですが、経済状態がそんなに良くないので高稼働する状態はだいたい土日とか夏のように長期休暇が見込める時などは、スロット屋さんも掻き入れ時かもしれません。
ですが、だいたいのパチスロ屋さんは平日来るお客も大事にしていたりします。
ですから、平日に高設定入れるところも珍しくはないのです。そのあたりはお店の立地状態も関係するので一概には言えないでしょう。たとえば新宿のような都市にとって、休日の方がかえって人の数が少ないということもあるのです。そういうことも考えて立ち回って行きましょう。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからスロット台の機種分析に入りたいと思います。まあ僕はジャグラーはまだよく分からず、版権ものくらいしか打ちませんが、その中で打ってきた台は攻殻機動隊、H.O.T.D.、番長2、エヴァART、秘宝伝、最近注目しているのが、ゼーガペイン、戦国乙女、エウレカ2です。こう見ると、大都技研の番長2、秘宝伝などのパチスロがシステム的に牽引してきたのでしょうか。擬似ボーナスを搭載した機種であり、ARTで出玉を増やし、天井も浅い、というのが特徴です。
秘宝伝はそれほどとは思わないのですが、番長2はかなりやり込み要素があり、演出が面白いのが売りかもしれません。いわゆる演出における法則というのがあり、法則が崩れた場合はアツいので、法則は積極的に覚えて行くのが必須といえます。
一般的に版権台はこれほど細かくはないのですが、演出を覚えておくと今打っている台の設定なども想像できたりするのでしょうか。番長2は前兆はカウントしたほうがいい、という機種でもあり、僕みたいにカウントできないと損はしないのですが、その分情報を見落としてしまう可能性があります。
まとめると、演出は覚えることとレア役や特定演出を引いた後のカウントはやるべきです。
(パチスロライターの射駒タケシ氏の受け売りですが)
つづく。
英語の読み方(草稿版)
こんにちわ。
最近英語を勉強しようかなと思ってます。
ハンギです。
NHKテレビ英語で有名写真家の息子さんが出てますけど、あれも真面目に見るといいかもですね。録画した前のやつも全部見切れてないですが。
僕はぶっちゃけ英語は苦手です。今でもきちんとは読み書きはできないのですけど、それでも以前と比べてマシになったので、英語の読み方をここで書こうかなと思った次第です。
やっぱり大学入学が大きかったですね。大学はいろいろ語学のコースが整っているので、英語はもちろん、ラテン語、ギリシャ語、オランダ語、ドイツ語、フランス語の授業がありました。オランダ語は別の大学に通わせていただきました。けっこう教えられる人も少ないし、日本語の辞書もあるのですがちょっと不完全らしいです。
さて、本題の英語に入りましょう。
英語は語順が大事です。
I am a boy.
と打った場合、ここでは主語はboyではなくてIだとわかります。
さてなぜでしょうか。それはIが主語の入るべき位置にいるからです。
つまり文頭は主語しか入らないというわけです。
(厳密には違うのかもしれませんが、気にしなくていいです)
よく疑問文にするときは倒置をおこないます。この倒置も曲者で、倒置をすることでこの文は普通の文章とは違います、とアピールする狙いがあるのです。
その倒置のバリエーションとして疑問文としても使える、と覚えた方が無難でしょう。
さて主語の次は何か、それは動詞ですよね。
動詞も曲者です。
まず変化が不規則も多いですし、原形から現在形、過去、完了、過去完了と変化します。
(動詞の原形と現在形を区別しましょう、三人称では一致しません)
不規則の変化は覚えるしかありません。あと群動詞も同じくそうですが、はっきりいって群動詞はイギリス英語かアメリカ英語かでもかなり変わるんじゃないかな。
あと忘れてはいけないのが受動形です。受動形は僕の場合理解できるまで大変でした。
日本語は◯◯される、というのは普通ネガティブな意味で使います。
あの子から意地悪をされた、とか騙された、なんていうのはよくある例でしょう。
英語の場合はそういうニュアンスがまるでないとは思いませんが、かなり少ないです。
キモは作用の向きが変わるということです。
あ、受動形は他動詞しかできません。自動詞ではできないかと思います。
他動詞は普通、主語が目的語にたいして何らかの作用を及ぼす時に使います。
I love you.
というのはそれを言うことに意味がある言葉のように見えますけど、Iがyouにたいしてloveという作用を働きかけているのですね。これを受け見にすると
You are loved by me.
にでもなるのでしょうか。be動詞+過去分詞形=受動態ですが、ここでは単純に作用する方向が変わっていることが確認できたかと思います。
I love you ではloveの意味上の作用はこっち向き→ですが、
受動態では動詞が作用する方向が逆向き←になります。
(同じ意味の文章を、主語と目的語で逆転するのだから当然ですよね)
受動態でも能動態(普通の時)と同じ変化(過去、完了、過去完了)があるのに注意しましょう。
めんどくさいのがこのパターンです。
能動態のhave + been+過去分詞化した形容詞の形(完了形)、と受動態の完了系 have been 過去分詞形は形が全く同じですが、文脈から判断して行くより他にはないと思います。
ぱっと例が思いつかないので思いついたら例を書きたいと思います。
両方とも 述部がhave been 過去分詞形 になると思いますが。
さて次は名詞です。
英語は格変化をあまり行いません。格変化を行うのは代名詞くらいで、固有名詞や普通名詞は格変化をしないです。これはラテン語の影響を受けた?ドイツ語とはかなり違うと思います。英語にとってラテン語からの影響は単語レベルではかなり大きいのですが。。
名詞はそれが目的語かどうかは文型によって違いますが、僕はいまいち、目的語かどうかにはあまりこだわらなくてもいいのではないか、と思います。
I love you.(SVO型)
I am a boy. (SVもしくはSVA型)
この二つは文型が違いますが、be動詞(いわゆるコプラ)は主語と目的語を一致させる動詞という風に定義できればSVO型といってもいいのではないでしょうか。ともかく読むためには意味がわかっていればどうということはないと思います。
もちろん動詞はI stand here のように目的語を取らない場合もあるでしょう。
here は場所を表す副詞なので、目的語ではないです。
here は I stand の目的ではないでしょう。私が立っているのは偶々ここなだけです。
こういうのはたぶんに文化的です。
他にも副詞がありますが、副詞はもの以外を修飾するときに必要です。
ようは英米的な感覚でモノとなっているような(具体的か抽象的かは関係がないです)ものを修飾するのは形容詞なので、基本それ意外です。
主に、場所や時間や様態でしょうか。
ぶっちゃけ以上のことを理解できれば英語を読めるようになると思うのですが、いかがでしょうか??
また暇を見て加筆します。間違っている箇所があったらすいません。あとで確かめてみます。
キルラキルについてちょっと考えた。
なぜかサイゾーにキルラキルの記事があったので勝手に考察してみる。
http://jp.news.gree.net/news/entry/1242401?from_ggpnews=top_category_news_6
あまり事情はわからないのだけど、キルラキルはガイナックスから独立した人たち(TRIGGERという会社)が作ったらしい。ガイナックスは言わずと知れた、エヴァンゲリオンを製作したところだけど、のちに監督の庵野秀明さんは別会社を作って、そっちでエヴァンゲリオンの新劇場版を制作している。
この一見なんでもないようなことが、難しいのがアニメ業界なのであって、そもそもエヴァンゲリオンは制作した側が著作権を持つという珍しい形式で製作されたため、作り手サイドが潤った先行例であるだろう。このエヴァに続けとばかりにオリジナル製作をするところがあり、少なからずパチスロやパチンコとのタイアップも盛んである。ロボットアニメのゼーガペインや、STARDRIVERがパチスロになる予定もしくはなっている。
この柔軟な著作権の使用こそがオリジナル版権で物語を作ることのメリットなのであって、エヴァンゲリオンも最近目にしたところでは、髭剃り用カミソリメーカーとコラボしていた。こういうキャラクター使用権などのB to B部門の方が本業をしのぐ利益をもたらしている。当たればとても旨味があると言えるだろう。
さて、問題のキルラキルである。
まだ今のところ4話目なのでまだ内容的にはよくわからないが、すでに黒幕の生徒会長と主人公は戦っているので、あまり先は長くないだろうと思っていたけど、あと2クール、つまり20話くらいある。これは更なる黒幕がいるのかな、と思わず視聴者に想像させるような筋書きである。
サイゾーの記事を見てみると、画風やネタの受容に年代差があるということだった。ガイナックスの先行作である、グレンラガンにしてもPanty&Stocking (以下パンスト)にしても作画が特徴的である。独特の丸っこいキャラクターデザインとも言うべきもので、基本的に最近のリアル志向のアニメと比べると珍しいくらいデフォルメが基調の作品になっている。
エヴァンゲリオン監督の庵野秀明にしてからが萌え絵については否定的な意見の持ち主ということも知られているが、ガイナックス自体が大きな反萌え勢力の牙城だったのかもしれない。萌えについてはいまだきちんと語られていない分野であり、またその境界もかなり主観的であるが、問題なのは、萌えというよりもギャグを志向するガイナックスあるいはTRIGGER作品であるだろう。
パンストはグレンラガンのような男の熱血がギャグとしてあるいはオマージュとして展開されているアニメに比べてもかなりギャグに偏ったアニメだと思われる。主人公は女の子不良2人組という設定であり、既存の秩序に挑戦的だ。グレンラガンほど男っぽくない。グレンラガンは抑圧されて生きていた男の子が外の世界へ羽ばたくような筋書きの話である。
この2作品を合わせたのが、どうもキルラキルっぽい、というのは強引かもしれない。主人公は女の子だが、かなり熱血系の話であり、かつギャグも多い。パンストのような不良の話でもある。かつギャグと熱血の融合の話なので、どうも過去にあった島本和彦作品を想起せずにはいられない。
熱血かつギャグというのはどう見ても現実に対する逃避あるいは、距離を保ちたいという心理が働いている。だが、こうした心理はたしかに20代のオタクには共有されていないのかもしれない。
20代のオタクはかなり真面目であり、右翼的な秩序志向もあるが、同時に仲間意識を共有する人間と連れ立っているようなイメージが強い。無防備な語らいはどうしても仲間うちとだけになってしまい、ギャグテイスト作品にたいして距離をもってしまう、というのはわからないでもない。この違いは、マンガやアニメがより本流的な現象になったのと無縁ではないようだ。過去、マンガやアニメは限られた趣味だったが、いまは交流的な知識やツールとなっているようでもある。より一般的になったからこそ、過去の作風に見える、熱血とギャグが共存している環境に面食らうのである。昔のオタクほど今の若いオタクは逃避的ではないのだ。
さて、それではかつてオタクと言われるような層の人間はどこへいったのだろう、という気がしないでもないが、この辺で筆をおいてみたい。
ご拝読ありがとうございました。
Processing で円を書いてみた。
「ジェネラティブ・アート」(マット・ピアソン著)に出てくる例題サンプルをちょっと書いてみた。
本文は部分的にしか書かれていないので、それを完全化してみました。
117ページに出てくる、らせんを描く例題です。
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lastx =x;
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}
実行結果はだいたいこの本に出てくる物と同じです。↓ (117ページを参考にしてください。)
一部なぜか簡単なミスが書かれていたり、この本の著者はかならず中心の位置を出す時は、width,heightで出すことをしつこいくらい推奨するのですが、部分的に拝借した元のソースコードにはそう書かれていなかったので、完璧さを追求するために公開しました。
あと個人的に気になるのは、初期の数値を反映されない−999にすることですね。これはちょっと抵抗あるのですが、他の方法が思いつかないので、そのままにしておきました。
ご拝読ありがとうございます。